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京都のくらし・昔の知恵~京の冬のすまい方②暦(カレンダー)基礎知識

【暦(カレンダー)】
 正月になると、「暦」、いわゆる「カレンダー」や手帳などをその年のものに新しく取り替えます。最近では4月始まりのものや、新しいスタイルのものが出回っていますが、どれも簡単に手に入れることができます。
 現在の「暦」は、日本も含めて世界で多く使用されている「太陽暦」の一つです。1582年にローマ教皇グレゴリウス13世がこれまでの「太陽暦」の一つである「ユリウス暦」を改良して制定した「グレゴリオ暦」を使用しています。
 これによれば、平年は1年を365日とし、400年間に97回の「閏年(うるうどし)」を置いてその年を366日とすることにより、400年間における1年の平均日数を、365日+97/400 =365.2425日とするものです。
 太陽がその軌道である「黄道」を通って元の位置に戻る日数がおよそ365.2424日であり、「グレゴリオ暦」は最も太陽の周期に近いものとされています。
 日本では明治5年(1872)に「グレゴリオ暦」が採用され、明治5年12月2日の翌日を明治6年(1873)1月1日としました。
 それまでの日本は「太陽太陰暦」を用いていました。その基本的な考え方は、月の満ち欠けの周期を1か月とするもので、これによると1年が354日となり「太陽暦」の1年に比べて11日ほど短くなります。
 このずれが3年で約1か月となるので、約3年に1回、余分な1か月、「閏月(うるうづき)」を挿入して、そのずれを解消するものでした。
 閏月を19年に7回挿入すると誤差なく「暦」を運用できることは古くから知られており、世界各地でも使われてきました。日本でも明治の初めまで使用してきました。
 昨年は閏年にあたり、「太陽太陰暦」では閏9月のある年となりましたが、この閏9月が巡ってきたのは天保14年(1843)以来、なんと実に171年ぶりだそうです!
 「暦」は現在でこそ誰でも簡単に手に入れることができますが、古くは国家機関で朝廷や貴族だけのために作成される、庶民には縁遠いものでした。
 当時の「暦」は漢字で書かれた「具注暦(ぐちゅうれき)」と呼ばれるもので、上段に「日付・干支(えと)」などの基本的なもの、中段には春分や冬至などの「二十四節気」、下段にはその他の大安や仏滅の「六曜」などが記載され、半年分で1巻、上下2巻となっていました。
 平安時代の貴族たちは毎日暦に従って行動しており、その余白に自分の行動や朝廷での出来事を記入する、いわゆる日記としても使用していました。国宝に指定されている、平安時代の藤原道長(みちなが)筆の日記「御堂関白記(みどうかんぱくき)」は、実は「具注暦」でもあるのです。
 印刷技術が発達して木版の暦が出現し、更に仮名で書かれた『仮名暦』ができると、一般庶民も暦を求めるようになり、暦の需要は増大していきます。京都で版行する暦だけでは需要を満たすことができず、江戸時代には伊勢暦や江戸暦など各地でその土地に適した形態と内容を持つ暦が出版されましたが、天文学が発達しきっておらず独自の方法で作成されたため、各暦によって元旦が異なるというような事態が生じました。その後、天文学の発達と共に日本独自の暦が作られるようになり、全国で統一されていきます。

登録者 京安心すまいセンター
最終更新日 2017-07-20 11:04:56